生い立ち1(幼少期から小学生) | 社会福祉法人玉水学園 玉水保育園

不易流行(理事長ほか)

生い立ち1(幼少期から小学生)

理事長の塩原 祥暁です。
本日より、こちらのコーナーで「教育・保育」についての考えや社会がどのような変化をしてきたのか、子どもを取り巻く環境で、現在、行われていることは、何であるのか。考えや思いを発信していきます。皆様に押し付けるものではなく、考えるきっかけにしていただけると有り難く存じます。ページの更新はどんどんしていきます。よろしくお願いします。

 

第1回目は私の生い立ちです。人となりを知っていただければと思います。

私の生まれは東京都杉並区で産まれました。3800グラムの大きな赤ちゃんだったとのことです。父親は会社員、母親は幼稚園に勤務をしていましたが、母親は私が産まれたころには仕事を辞めていたので、実際に働いている姿は知りません。

幼少期の私は、幼稚園でも一番大きく、常に一番後ろに並ぶ子でした。ただ、いつも母親の後ろに隠れてしまうような人見知りの一面がありました。卒園の時に、幼稚園のクラスで飼っていたインコを自分が世話をすると言って引き取ってきたことを今でも鮮明に覚えています。

小学校に入学するときには、学区から離れた幼稚園に通っていたこともあり、知っている人は一人もいませんでした。ただ、友人関係を築くことはそこまで抵抗なく、だれとでも仲良くできるタイプでした。

幼少時代は毎週日曜日になると家にいることは少なく必ず、母親がつくったお弁当をもって家族で、昭和記念公園や井の頭公園に出かけるのが日課でした。あとは、自転車に乗ってサイクリングというのがパターンでした。

友人から野球をやろうと誘われても家族で出かける時間が無くなるのが嫌で断り続けていましたが、小学校4年生になったときに体験に行き、楽しくて野球を始めました。家族とのお出かけは無くなりましたが、父親はボール拾いのお手伝い、母親も世話好きの性格なため、試合には必ず付き添い、家族で野球の追っかけが始まりました。

 

同級生より、上級生や下級生と過ごすことが多かったです。また、リーダーシップをとることが増え、母親の後ろに隠れてしまうような私が、6年生の運動会では応援団長がやりたくて立候補しました。4年生からずっと務めたことは今でも不思議です。

ちなみに、勉強は得意ではなく、いつも野球をやっていました。勉強が好きかと聞かれれば嫌いと答えるような子どもでした。

(つづく)

理事長 塩原 祥暁