生い立ち4(大学生から社会人へ)
理事長の塩原祥暁です。
志望校へ進学した私は、最初のガイダンスで説明を受けて卒業までに取得できる資格を無理なく取る計画を立てました。
まず、小学校一種免許、幼稚園一種免許、学校図書館司書教諭この3つに絞りました。大学はとても充実した4年間でした。唯一単位取得に苦労したのはピアノです。幼少期ピアノを習っていましたが、今思うともっと真剣にやれば良かったという思いです。3年生になると、教育実習校の選定が始まります。ここで、人生のターニングポイントがありました。当時、実習に行く場合、幼稚園と、小学校の免許を取得する場合は、実習先を幼稚園または、小学校に4週間行くという条件でした。私が目指していたのは小学校教諭でしたので、自分の母校に受け入れ可能かどうか、連絡を入れました。すると、「本来は、某国立大学の学生のみを受け入れているが、卒業生ということでしたら、まぁいいですよ。」という感じで言われました。その一言がとてもショックで、幼稚園で実習することにしました。当時は姉が既に勤めている幼稚園(卒園した園)が選択肢にありましたが、そこではなく、母の勤めていた幼稚園に連絡をしました。すると、園長先生が「塩原先生の息子さんなの?ぜひうちに来て実習してください。お母さんと同じ道を進むのね。」ととても喜んで受け入れをしてくれました。
当時は、就職氷河期です。私の世代はロストジェネレーションという社会でも一番不安定な世代です。非正規雇用者が多く、社会で取り残された世代です。何十社も受けて、一社内定が貰えたら御の字です。自分で選べるなんていうことはほとんどなく、内定が出たら「ありがとうございます。一生懸命頑張ります。」「辞めさせられないように頑張ります。」という時代です。同じくして、教員採用試験も採用を渋られていた時代です。そのため、学内の就職説明会では、教員採用試験合格者が数人という恐ろしい報告を受けたことを今でも覚えています。
さて、実習では園の先生方にもよくしていただき、充実した一か月を過ごしました。実習ノートは毎回苦労しながら取り組んだことも良い思い出です。
実習が終わるころになると、園長先生から呼ばれました。ここで、また、人生のターニングポイントが来ます。「ぜひ、ウチに来てくれない?一生懸命取り組む姿と真面目な性格を評価している。」とのことでした。お声がけをいただくなんて夢のような話で、当時は不景気、仕事もなかなか無い時代ですので、私は、小学校教員ではなく、幼児教育の世界に飛び込む決断をしました。
それが、私の教育の原点です。「子どもたちを育てて、次のステージにお渡しする。」その後、卒園した園からも声がかかり、転職して働くことにしました。私のベースは幼稚園勤務時代に培われたものです。ただ、一つ誤算があります。今では男性も保育の世界で働く方が増えましたが、当時は研修などに行くと、現場の先生では男性が私だけという時もありました。また、キャリアを積んでいっても年功序列の時代でしたので、この先はないのかな。という悶々とする日々もありました。
そして、決断をして民間の会社に勤める決心をします。入社した会社で、まず配属されたのは保育園でした。当時、ちょうど会社が保育園運営に乗り出すということで、新園のスタッフとしての勤務でした。認可外保育園としてのスタートでしたので、園児も自分たちで獲得していかなければなりません。ポスティングやチラシの配布など、広報と保育の両立でした。
その後、新規事業を立ち上げるということで、幼稚園勤務の経験を評価していただき、新規事業の立ち上げメンバーに選んでいただきました。その新規事業が、就学前教育プログラムを幼稚園・保育園で展開していくというものでした。幼稚園や保育園で展開していくには限られた時間で、内容の目的を達成させるために試行錯誤の日々が始まります。このプログラムには心理学者のジャン・ピアジェの「認知発達理論」と数学者遠山啓の「水道方式」の理論が組み込まれています。遠山啓氏は発達の遅れのある子に対して算数教育をいかに組み立てて、実践していったらよいかの研究をしており、「歩きはじめの算数」という書籍の中で基礎教育の在り方を述べられています。勉強へのアレルギーを持っていた私が、高校で学ぶことが好きになり、まさか学習を教える仕事に就くとは思いもしませんでした。そして、小学校で行われる教科学習の土台作りをすることになるとは、人生とは面白い巡り合わせだと思うのです。
当時、私が担当した園は7園ありました。西多摩地域4園、23区1園、埼玉県2園を一週間かけて行商のように回って金曜日に帰社するという生活です。そのおかげもあり、いろいろな園の中を見学できる特権もありました。各園の園長先生や理事長先生とお話をさせていただけたことも学びにつながりました。
そして事業を立ち上げて2年後に玉水保育園と出会うことになるのです。
当時、理事長先生であった熊野先生は「生活とあそび」をつなぐものは何かというものを探していたそうです。熊野先生と出会いは運命的な出会いでした。当時、他の契約園に指導に出向いていた私は、その園の園長先生に熊野先生がいらして紹介をされました。その時熊野先生とお話をさせていただき、「私が求めていたものはこれだ!」と思われたとのことです。翌週には玉水保育園で体験レッスンと職員向け説明会をして、すぐに導入を決めていいただきました。
その出会いから15年です。
こうして、玉水保育園向けにカリキュラムを練り上げ、正課就学前教育プログラム「玉ちゃんたのしくトライ」が誕生しました。


